2013年6月27日木曜日

67歳、気合いを入れ直して、元気にブログを再開!再会!

2010年1月23日土曜日



 医療機関の思い出
 「N診療所」
 B型肝炎と診断される前のころ
普段日本酒を日に3合ほど、ビールなどと一緒に飲んでいた。秋も終わりになろうかと時に 背中一面に発疹がでてかなり痒く、驚いて近くのN診療所に駆け込んだ。
 記憶では「ベトべーネ」なる軟膏をもらい、塗ったところ1~2週間ほどで楽になった。 その診療所は1階の受付の前にやっと15.6人が座れる椅子が3列ほどあって、
 そのすぐ隣にカーテンで仕切った診察室があり、そこでの患者と医師との会話は、待合室・受付まで筒抜け状態である。
  その時の診察風景。
 インターン中かと思える若い医師は、なんと思ったのか、私の背中を診ながら大声でさけんだ。
  「なんだこれは、あんた、どこか怪しい、不潔な場所に行って、寝てきたんではないの。 寝具だ布団だのが汚れ放題になっているような・・・」と来た。
 待合室からクスクス笑いが聞こえる。
  まぁ、映画に出てくるような「売春窟」にでも行ってきたのかと言いたかったのでしょうか。
 診察が終わって、会計をする時、ムーミンにごま塩髭を生やしたような、小柄で太っちょの事務長は、笑いを堪えきれないままの顔で、手先だけを伸ばしながら領収書を渡した。
 後に分かった事だが、これが私の肝炎症状の発症で、また果てしない「治療」の始まりでもあった。

2009年6月28日日曜日


減量挑戦のこのごろ

 それから5年ほどは、検査値に問題はないものの肝臓付近の重い感じが続いていたので自重して飲酒は全くしなかった。肝炎を自分が克服出来た実感が無く、不安でもあったからか。

  現在は普通に飲酒もし、最近は度を超して医者から「脂肪肝ぎみ」との警告を受け、減量に挑戦中の日々。

2009年5月14日木曜日


 医師、「こういう事はあるにはある」 

当時、1~2ヵ月毎に肝機能検査を受けていたが、その日から約1月後の検査結果でHb-s 抗原がー、抗体が+になっていた。

 担当医師は、「こういう事例も、あるにはありますが、それにしても年齢的には早いほうですね。」と説明し、「検査の誤差ということもあり得ますから念のためもう一度検査を。」と言った。

 翌週出た結果も同じだった。さらに念のためにと、翌年とその翌年に同じ検査を受けたが、結果は同じだった。 

B型肝炎ウィルスが完全に消滅したのだ。                           ( 診断書コピー 部分-参照)

2009年5月12日火曜日


身体が温まって来た

 視界を遮る濃霧の中で、方角だけを頼りにひたすら舟を漕ぐように、「い---ち」「にーーーい」とゆっくりと呼吸を続けて行くうちに、1時間以上は経っただろうか、
少しずつ身体が温まって来た。

そのうち、手先の感覚も感じ取れて来て、動かせるまでに成った。「数え呼吸」を初めて2時間ほどだったろうか、枕元の時計をみると7時少し前だった。 

起き上がれた。しかしまだ食欲はない。ちょうど「かげろう」のような、透明でかすかな新しい自分が、水を飲み、果物程度を軽く口にしだした。

 「死ななかった。」と思った。そのことの本当の意味はこれから分かるのだが。

まもなくすると、身体全体に深く重い疲労感が、しかし心地よく押し寄せて来た。全身が温まった自分は今度は安心して眠りに身をまかせた。

  「死んだように、泥のように眠る」とは此のことか、目が覚めたら夕方だった。

2009年5月10日日曜日


『かぞえ呼吸』

ところが、沈んでゆく自分の中で「そうだ、『かぞえ呼吸』だ」と声がしたようだった。

その声に続いて「足は第2の心臓だろう!」とも言っている。 

「足が凍傷になりそうな時は『足の指を動かし続ける』だったろう」などとも言っている。

頭の中で「1、2、3、4」と数えながら足の指を上下に動かそうとしてみた。動き出すのそんなに時間はかからなかったと思う。 頭の中で、「いーち」と言いながら息を吸い込んでみる。少し息が出来た。 「ふー」と吐く。 数を数えながら、次第に深く吸うようにする。足も指だけでなく足首全体を「バイバイ」する時のように上下させて、それに合わせてゆっくりと時間をかけながら吐き出して行く。

「い---ち」 「にーーーい」 息を吸う時に精一杯の力を込めてみる。 

そうこうしている内に、いつの間にか辺りが白んで来るにつれ、自分の中で「ここで死んだら意味が無いだろう」とか言っているようだ。

2009年5月6日水曜日


薄れてゆく意識と暗闇 

そのまましばらくして、いつもと違うもう一つの事に気が付き始めた。

「身体のどこそこ」でなく、自分全体が「ゆっくりと冷え始めているらしい」という事だ。

薄れてゆく意識と暗闇の中で、それは次第に「このまま死んで行くのではないか。」と言う確信のようなものに変わり、呼吸自体が、有るか無きかになるにつれそれは「確信」=「諦観」と成りつつあった。               
「沈む」のでなく、自分自身が湖の暗く冷たい湖水に変わって行くようなのだ。

 「苦しみ」は全くなく、「人は、こうして死んで行くんだ。」と、そこへ自分がゆっくりと自然な感じで下ってゆくとさえ感じられた。

 長い闘病のしんどさもあってか、そのまま意識を失ってゆくのも「至極楽かな。」とさえも思った。