2009年3月20日金曜日


「長くてあと20年かな?」 

別の病院の医師からは,「統計的には、長くて20ほど年の命」とも「助言」を受けたりしながら、頭痛、悪寒、倦怠感、吐き気、全身のかゆみ、そして時折り起こる「自暴自棄感」などと付き合いつつ10数年が経った。

この間に摂取したクロレラ粒やアロエは症状を幾分緩和する効果が感じられた。 クロレラは、口に含んで香ばしいものが良いようだった。安価な物を試したことがあったが、独特の芳香もなく1週間もしないうちに背中にじんましんが出てきたので文句を言ってすぐ止めた。無農薬ニンジンジュースも元気をくれ、夏場の低血圧時には大いに助かった。

2009年3月15日日曜日


検査値が降下しだした 

 全身のひどい痒みにも苦しめられた。

 特に風呂上がり時、皮膚が乾燥し出すとき猛烈なかゆみが全身を襲ってくるのだ。 

他に術なく、対抗療法で、たわしで全身を洗った。初めは皮膚表面がみみず腫れ状態になったが1~2週するうちに慣れてきて、たわし洗い後は痒みが軽くなった。 

  医師の指示もあり2、3日毎に血液検査をしていたが、次第に黄疸が軽くなるとともにGOT,GPTの値がゆっくりと下がり出し、ほぼ平常値に近づいた。肝臓病が専門というその医師は、ぽつりと「うーん、こういうこともあるのか」とつぶやいた。

三 途 の 川 の 中 程 から

  「わーっ! うーっ!」 天井に向かって大声で叫ぶ自分の声で目が覚めた。
 すでに夜は明け切っていて、しばらくそのまま布団に強烈な重力で縛り付けられたようで、動けない。
しかしその一方、眼前に薄明を感じ取り、「生きて戻って来たんだ。」と実感して居る自分がいた。 

 何が幸いしたのかは分からなかった。「アサリちゃん」のおかげだったのかなとも思う。
 体力の維持も効いたのかもしれない。とにかく一旦は渡りかけていた三途の川の中程から引き返してきたのは間違いなかった。

 「重武装した地獄の使者」はその日を最後に、
少なくとも目の前からはゆっくりと遠ざかっていったようだった。

地 獄 の 闇 

ところが嘘か真か、数日後「地獄の仕掛け人」がやって来た。 

 仕事から帰ったが、指を動かすのもしんどく全身泥のような脱力感・疲労感のまま寝床に倒れ込む。

何時間かたったころ、猛烈な頭痛が襲って来た。自分の頭は厚手の鋼板のようで、誰かがそれをハンマーで連打している。

 身体ごとブンブンと振り回され、意識を失うように眠り込むかとおもうと、一方で目は開いているはずなのに真っ暗闇の中で何か自分がわめき散らしている。その闇といえば、重密度の「ブラックホール」(?)、極上の石炭の断面のようだった。あれほどの闇を感じたことは以来2度と無かった。

  今から思い出しても、夢に見るこれ以外の闇は、どれも月明かりに照らされているがごとく明るい闇ばかりだった。 もう自分の肉体は感じ取れず、ただかすかな意識のみが、行くことも退くことも出来ないまま、自分が、意識が、どんどんその体積を縮めて行くに任せるしかないのだ。闇の奥へ奥へと吸い込まれていった。医師の警告はこの事だったようだ。

アサリ、シジミは友達 

まず、参考書が勧めるシジミ汁を飲むと、その場で右脇腹の肝臓周辺からつーんと張ったような疼痛感が薄らぐのがすぐに分かった。 新たに通院し始めた別の病院の医師にそのことを話したら、「肝臓は沈黙の臓器で感覚や神経はないからそれはおかしい。」と首をかしげた。 

魚屋で毎日シジミを求めたがなかなか手に入らず、おまけにシジミはその産地の汚染によるのか、時々「灯油臭」や「薬品、農薬臭」がするものがあって、はまぐり、ほたて、赤貝など色々の試行錯誤を経て、肝臓周辺に同様な安息感を与えてくれるアサリに代えた。 

1度に5人分程を買い求めて、砂を抜きそのまま薄塩で煮て、殻を取ってからタッパウエア10個に小分けにして冷凍。毎朝1パックずつ具を加えて、みそ汁にして飲んだ。

おかげで「あっさり死んじめぇー」(^^;) とは行かずに済みそうになってきた。 

良質のタンパク質を採ろうとヨーグルト、チーズも毎日摂取しつつ果物と野菜を食べ、さらに肥満に気をつける為と、体力気力維持のため、医師の「静かに暮らせ」という指示に逆らって毎朝ジョギングもした。そのほうが肝臓周辺が軽くなるうえ、気力が満ちてくるのが分かったからだ。
「私のB型肝炎闘病・脱出記」
初めに、必ずお読みください
 
以下に書いてある事は全く私個人の体験でありこれが他人にそのままあてはまる事とは思えません。本文はあくまでの参考例を提供させて頂いたものであり、本例を参考になさるかどうかは各個人の責任でなさってください。 また各個人が本例を参考あるいは採用されてのいかなる結果についても、私は一切の責任を負わない事をここに明記します。 この事を了解された上で以下の「私のB型肝炎闘病記、脱出記」をお読みください。

明日までに入院しろ
 34歳(?)の、酒を飲み続けていた春過ぎごろだったと思う。全身の脱力感と発疹に襲われ国立病院に駆け込んだ。2週間程をかけての検査の結果、黄疸がでていて、医師から「HB-s抗原+、HB-e抗原-、抗体+でその値からすると、貴方は『急性B型肝炎』だから明日までに入院しろ」と言い渡された。 
 そうは言われても、一人暮らしで仕事も休む訳にはゆかず医師に「通院しながら治したい」と言ったところ「指示に従わないなら、命を保証できない、死んでも責任をとれないぞ」と厳しい調子で脅かされてしまった。 
  後に分かることだが、この時自分にはその言葉の本当の重大な意味が分かっていなかった。ただ、「何とかしよう、何とかなる。」そう思った。 兎にも角にも思いつく策も無く、図書館に行き肝炎関連の本で説得力ありそうなのを片っ端からあたり、そのうちの5、6冊を購入し、むさぼり読んだ。 まだ元気があったので、「死んでたまるか!」「ふざけるな!」と腹の底でそう叫びながら必死に対策をたてた。